拙者は、おひつ侍 原 壱輩でござる。
皆様もお米を運ぶ時に、量の多い少ないはあるとしても、「お米は重いなぁ!」と感じる事はござらぬか?
そして、「もっと軽ければ良いのに!」と、思うことは有るのではござらぬか?
拙者も仕事柄お米の取扱いには慣れておるつもりでござるが、30kg入りの紙袋が、ずしりと重い感じがする時もござる!
そんなある日、生産者さんの所で車に米袋を積み込みながら、ふと疑問が湧いてきたのでござる。
「なぜ、米は重いのだろう?」・・
そもそも、米は重い。 昔からお金に替わる品物としても扱われてきたような食物でござる。
江戸時代までは、農民が米を作り、武士に上納し、武士から商人へと貨幣の替わりとしても扱われた時代もあった。
お金に替わるから重いのか? 否、価値として重いだけではないと存ずる。
米の重さは、「エネルギーとして」の、重さではないかと思うのでござる。
エネルギーと云うと例えば、原油、石炭、または、ウランなど、鉱物エネルギーは総じて重いと思われるのでござる。 もっともウランなど持った事もござらぬが!
米も「エネルギーの塊」と云えるのではと思えるのでござる。
なぜ、エネルギーの塊なのか?
それは、稲の生育を見ればお判りと存ずる。
稲は、土中から窒素分(栄養)を吸い上げ、太陽光線(日光)の光と熱を受け止め、葉の内部で光合成を行ない、その結果として、デンプンを稲穂に注入し、やがて米粒となるのでござる。
そもそも、土中の窒素分も素を辿れば、太陽の熱や光で生育したものでもござる。
早い話が、米粒は太陽光線によって運ばれてきたエネルギーを、稲と云う植物を媒介として、デンプンと云う物質に変換して出来上がった、いわば「太陽エネルギーのミニカプセル」と言える訳でござる。
我々人間は、この太陽エネルギーのミニカプセルを体内に食物として取り込むと、デンプンをブドウ糖に変換し、この糖を燃焼させてエネルギー源として身体活動が、できている訳でござる。
この様な訳で、お米の重さは、太陽エネルギーが一杯詰まった「エネルギーミニカプセル」と考える訳でござる。
お米はエネルギーが一杯に詰まっているのであるから、重い、重さが在ることがしごく当然な事と思えてきたのでござる。
この様に考えてみると、“重さ”の在る物、重みが重要であるような気がしてきたでござる。
拙者も軽い人間ではなく、ずっしりと重みのある人間になりたいものでござる!