拙者は、おひつ侍 原 壱輩でござる。
永い間、お米に携わる仕事を生業に過ごして来たでござる。
生まれついた処が、この商家であったので、既に40年以上もこの業界にて過ごしてしまったのでござるが、数年前にやっと、「米」を食べる人はいないと云う事に気付いたのでござる。
「米」を食べる人はいないと云うのは、“言葉のあや”の様な話ではござるが、米は炊飯をして「ごはん」となって始めて食するものでござろう。
誰も生米をそのままバリバリと食べる人は居らぬと言いたい訳でござる。
それでも確かに、生米を1~2粒口に入れ、噛みしめる事で、ご飯の時の味を予想出来る方もおいでの事とは存ずるが、基本的には殆どの方が“炊飯”と云う行程を行なう事で、ごはんになってから食される事であろう。
永い間、「この米は旨い!」とか、「この米はまずい!」とか、お米業界では騒いで来たが、このままで良いのか?と最近は考える様になってしまったのでござる。
「お米は炊いて食べる事は、当たり前!だから今更考えなくともと良い!」と、お感じの方もおいでかと存ずるが、果たしてそれで良いのであろうか?と感じるのでござる!
拙者は現代のニーズ・要望が、「小量で良いから、美味しいごはん」が求められる時代となったと感じておりまする。
どこのご家庭でも少人数世帯が殆どで、4~5人以上のご家族は今や大分少ない割合となっておられるのが現状ではないかと,考えておりまする。
大人数で食事を作る事は、その準備や片付けも大変なご苦労とも思いまするが、やはり大人数で和気あいあいと“食べれる”ことが、とても魅力的だと感じておりまする。
1~3人世帯の比率が増加し、大人数で食卓を囲む生活がとても貴重な家庭となりつつなるのではと、心配しておりまする。
その様な生活の中で、美味しいごはんを食べることが、簡単な様でも案外難しいことになって来たのかもしれないのでござる。
小人数世帯であることは、現実的に中々簡単に変える事は難しいことなのでござろう。
そこで、少しでも美味しく、気分良く食事を摂れる様に、おひつなどを利用してみられては如何でござろうか?
気に入った形の立派なおひつが食卓に在ることで、おなたの食卓が華やかに彩られ、食事のごはんが一段と美味しく感じられるのでは無かろうかと考える次第でござる。
我々お米に関わる仕事を生業にしている者は、もっとご飯について関心を払うべきではないのか? と、考えるのでござる。
お米を炊飯して、ごはんになったら、それで終わり!ではなく、ごはんを食べる食卓やダイニングのこと、食してから後のこと、考えなければ成らない事は山の様に沢山在る!のではと思うのでござる!
拙者はごはんを食べて、腹が一杯になる事だけで、終わりたく無いと考えて居りまする。
ごはんを食べて“心が満ちてくる”そんな食事を目指して行きたいと、感じておりまする。
今後とも、どうぞおひつ堂の行く末を楽しみにして下され。